50歳を目前になって気づいたことがある

投稿者: | 2024年10月13日

こんにちは、つよしです。

 

先日、運転免許証の更新案内が届いていました。

免許の更新基準は誕生日です。

 

そう言えば、そろそろ誕生日だったな、と思い出していました。

今年はもしかして50歳?

 

まさか50歳。

生きてきたといえばいいことでしょうが、自分が50歳だなんて。

 

ちょっと前までは30代とか思っていましたが、時が過ぎるのは早いものです。

年をとるとめっきり刺激が少なくなって、おもしろいこと、楽しいことが減ってきます。

 

というのも、経験したことが多いからです。

その分、落ち着きみたいなものが出るとは思いますが。

 

50歳も近くなり、最近やっとわかってきたことがあります。

自分がこの先なんのために生きていくのかです。

 

もともと生きていく理由なんてなく、生まれてきたから生きていくしかない、と感じています。

 

世界を変えるような天才、偉人と呼ばれる人なら生まれてきた理由があるとも言えます。

でも、私のような特別な何かがない人間は何のために生きるのでしょう?

 

こんなことは20代のころは考えもしませんでした。

毎日することが多く充実していたからです。

 

でも、50歳にもなると毎日ルーチンワークしかなくなります。

そうなると、目的意識みたいなものがなくなってくるのです。

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目指すべきゴールみたいなものがない。

100年以上前だと衣食住がそろっていなかったので、生活するというのが大きな目標だったと思います。

 

でも、現在の衣食住足りている状態は、ありがたいですが、生きる目標がはっきりしなくなります。

 

つきぬけるような趣味があるとか、仕事が好き過ぎるとかあればいい。

だけど、そんなことがない自分はどうなの?

 

昔、何かの本で人生はRPGのようなものだと読んだことがあります。

自分が主人公で仲間を集め、装備を調え、敵を倒すみたいな。

 

反対にRPGの村人だと、話しかけても「ここは○○の町です」と言うだけ。

だからRPGの村人だけでなく、主人公を目指しましょう!みたいな話でした。

 

それで気づいたのは、自分はRPGの主人公にはなれない。

どちらかと言えば、RPGの村人だ。

 

村人だから充実した人生はおくれないと思っていました。

だけど…RPGの村人にだって生活がある。

 

主人公の勇者が話しかけたときは「ここは○○の町です」としか言わないけれど、村人にも家族がいて生活がある。

敵を倒すような大きなことはできないけれど、小さな仕事や役割がある。

 

私は自分がする仕事が人の役にほとんど立っていないと感じていました。

でも、「別にそれでいいんじゃない?」と思えるようになったのです。

 

例えば、電話がないときに電話を発明した人はすごい、車や飛行機なんかもそう。

1900年代はそういう新しい発明がしやすい時代だったと思います。

 

でも、2000年代にはいってからインパクトがあったのはネットとスマホくらい。

もう、資本主義経済が頭打ちです。

 

価値がないものに、無理に価値を与えお金を回していく。

これが現代だと思います。

 

仕事にすごい意味がある人なんてそんなにいないでしょう。

意味があるのか、ないのかわからない仕事をして生活していくのにギリギリのお金を稼いで死んでいく。

 

パッとしない人生ですが、そんなものでしょう。

 

職場で高齢者ボランティアという仕事あります。

はじめは高齢者なのに、よく無給でボランティアをやっているなあと理解できませんでした。

 

だけど、今ならわかる気がする。

高齢者になると世の中から必要とされなくなります。

 

だからといって、何もしないと人生が退屈なのです。

だから、お金がもらえなくても義務を背負って生きているだと推測しています。

 

それに何もしていない高齢者よりも、あきらかにボランティアをやっている高齢者の方が若く見えます。

ボランティアをやっている高齢者はそのあたりを理解しているのでしょう。

 

私はまだ年齢的に世の中の少し価値を与える仕事ができます。

だから、今はまだお金をもらって仕事ができています。

 

役に立つとか立たないとか関係なしに、できることをすればいい。

ちょっと面倒なことや難しいことがあった方が人生は充実します。

 

RPGの村人なりに生きていく。

そう思うと、この先年老いていくのも受け入れることができます。

 

以上です。

さようなら!

 

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カテゴリー: Life